(読み仮名:よしつねのこしかけまつ)

 江戸時代の紀行文や文学作品・絵図にたびたび登場し、街道を行き来する人々が愛でた、天下の名木「義経の腰掛松」が国見町の石母田にありました。

 平安時代末、藤原秀衡をたより源義経が金売吉次とともに平泉へ下向する際、松に腰を掛けたとの伝説が由来として伝わります。松は、江戸時代の旅人や文人が義経一行に思いをはせる場所となり、「弁慶の硯石」・「伊達の大木戸」(阿津賀志山防塁)とともに義経ゆかりの旧跡地として名所となりました。寛政12年(1800)には江戸の文人などにより文学碑が建立されています。

 初代の「義経の腰掛松」は、幅35m、高さ4m程度、笠松状の優美な樹形から、天下の名松と紹介されるほどでしたが、文政4年(1821)に修験者が蜂を退治する際、誤って焼失させてしまいます。

初代松

初代「義経の腰掛松」を伝える 『義経の腰掛松図』(江戸時代後期)

 

 焼失を惜しんだ当時の村人たちは、福島市上名倉から美しい樹形の松を譲り受け、文政6年(1823)に移植しました。松は二代目として、平成26年(2014)に枯死するまで、人々に親しまれてきました。

2代目松

見事な枝振りであった二代目「義経の腰掛松」(平成元年)

 

 現在は、初代松の幹、根本を保存するための覆屋が建てられており、その傍らには二代目松の一部を接木により育成した三代目の松があり、地域の歴史とともに義経伝説を伝えています。

覆屋

初代松の覆屋内には義経神社が祀られています(平成29年)

 

3代目

二代目松の接木により育成した三代目「義経の腰掛松」(平成29年)

 

所在地国見町石母田字笠松地内