ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ

第26回義経まつり

お知らせ


国見町義経まつりの由来
 国見町には「義経の腰掛松」や「弁慶の硯石」など義経にまつわる伝説が残っています。
 今をさかのぼること830年ほど前(1189年、文治5年)平家を壇ノ浦に滅ぼした後に全国統一を目指す源頼朝が、全国60余カ国の御家人に命じて集まった28万余の軍勢を引き連れ、当時4代にわたり東北一円を平定し栄華を誇った藤原氏を攻め滅ぼすため、三方向に分かれて奥州に侵攻してきました。
 古くから交通の要衝の地である国見町は、奥州合戦の趨勢を決する舞台となりました。攻勢を知った藤原氏当主 藤原泰衡は奥州の総力を結集し、阿津賀志山中腹から阿武隈川に至る約3.2kmにわたり、延べ25万人を動員し6ヶ月の歳月をかけ、堀と土塁からなる長大な防御施設を築いたのです。
 これが現在も残る国指定の史跡『阿津賀志山防塁(通称二重堀)』です。これは、福岡市の元寇防塁、太宰府の水城とならぶ日本三大防塁の一つとされ、全国的にも珍しい史跡であると言われています。
 その防塁を境に対峙した源頼朝を総大将とした鎌倉軍10万余の軍勢と、藤原国衡率いる藤原軍2万余の軍勢。その戦いの結果、鎌倉軍による全国統一がなされました。これが『奥州合戦』です。
 歴史的背景に思いをはせ、まちづくり事業の一環として「国見町まちづくり推進協議会」の呼びかけにより、町内各種団体・企業並びに町民が総参加で「国見町義経まつり実行委員会」を結成し主催するものです。

国見町義経まつりのこれまでの経過
 平成元年「あつかし山奥州合戦800年祭」を実施し、その記念事業として「義経まつり武者行列」が始まりました。その後、「義経まつり」は、平成8年度から3年間、「商工振興活性化事業」として県と町の補助を受けて実施し、以後、町のイベントとして定着しています。
 特に、義経まつりのメインとなる「武者行列」には、相馬野馬追で活躍する中ノ郷騎馬会の協力により騎馬武者が登場するなど、観客の皆様からご好評をいただいております。
 しかし、第16回(平成23年度)〜第17回(平成24年度)は東日本大震災の影響により、従来どおりの開催ができなくなり、内容を新たにしての開催となりました。
 第18回(平成25年度)からは、「武者行列」が復活し、“復興・絆”くにみの日事業として、町民の「心の元気」を取り戻すため、新たに「義経公行列」として生まれ変わりました。
 令和2年度及び令和3年度は、新型コロナウイルスの感染防止の観点から、開催を中止いたしました。
 そして、第25回(令和4年度)から再開し、今年は第26回義経まつりを開催します。