JavaScriptが無効のため、文字の大きさ・背景色を変更する機能を使用できません。
本文
(読み仮名:あつかしやまぼうるい(たかはしちく))
文治5年(1189年)奥州合戦における、最大の激戦場となった阿津賀志山に、奥州平泉の藤原泰衡が源頼朝の率いる鎌倉軍を迎撃するために築かれたもので、この山の中腹より西大枝の石田へ続く約3.2km薬研堀状の防塁跡。地元では俗に二重堀と呼ばれている。
Copyright (C)Kunimi Town All rights reserved.