
国見町には「義経の腰掛け松」や「弁慶の硯石」など義経にまつわる伝説が残っています。
今をさかのぼること822年前(1189年、文治5年)平家を壇ノ浦に滅ぼした後に全国統一を目指す源頼朝が、全国60余カ国の御家人に命じて集まった28万余の軍勢を引き連れ、当時三代にわたり東北一円を平定し栄華を誇った藤原氏を三方に分かれて奥州に攻め入ってきました。
古くから交通の要衝の地である国見町は、この戦いの趨勢を決する舞台となりました。攻勢を知った藤原家当主 藤原泰衡は奥州全域の総力を結集し、阿津賀志山中腹から阿武隈川に至る約4kmにわたり、延べ25万人を動員し6ヶ月の歳月をかけ、堀と土塁からなる長大な防御施設を築いたのです。
これが現在も残る国指定の史跡『阿津賀志山防塁(通称二重堀)』です。これは、福岡市の元寇防塁、太宰府の水城防塁とならぶ日本三大防塁の一つとされ、全国的にも珍しい史跡であると言われています。
その防塁を境に対峙した源頼朝を総大将とした鎌倉軍10万余の軍勢と、藤原国衡率いる藤原軍2万余の軍勢。その戦いの結果、鎌倉軍による全国統一がなされました。これが『奥州合戦』です。
そんな歴史的背景に思いをはせ、まちづくり事業の一環として「国見町まちづくり推進協議会」の呼びかけにより、町内各種団体・企業並びに町民が総参加で「国見町義経まつり実行委員会」を結成し主催するものです。