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町の歴史

印刷用ページを表示する 掲載日:2016年10月1日

 国見には、古代先住民の生活の場であったことを示す多くの遺跡・遺物が数多く残されています。

  弥生時代に始まった稲作農業は、金属の導入などにより、経済的な富をもたらし、社会的に他をしのぐ力を持ったすぐれた豪族たちが支配するようになりました。

 奈良時代になると、中央の文化がこの地にも広がり、すぐれた文化財などを残しています。

 鎌倉の初期、源頼朝の奥州平泉攻めで、阿津賀志山の戦に従軍し、功績のあった伊達氏は、次第に勢力を増し、中世末期まで伊達、・信夫に君臨する豪族となり、その後、蒲生氏、上杉氏と支配者が変遷、1664年徳川幕府の領地となり、幕末を迎えました。

 明治16年12ヶ村による戸長役場が藤田村に設置、地域の中心的都市として発展してきました。

 昭和29年3月31日古戦場で知られる国見山・国見峠の名をとり、国見町として誕生しました。

 

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 国見町における人類生存の痕跡は古く、大木戸の中山遺跡から出土した遺物などから、一万年以前の旧石器時代にさかのぼる。縄文時代となると遺跡の数は増加し、高城の岩淵遺跡・小坂の川原遺跡など主として台地上に分布をみている。紀元前3世紀には、この地方にも稲作を伴った農耕社会である弥生時代を迎え、石包丁や大型蛤刀石斧を出土する光明寺の山田遺跡・石母田の割田遺跡などが知られる。やがて農耕生産によってもたらされた貧富の差は階層の分化を促し、5世紀頃にはこの地域を支配する豪族が出現し、古墳時代となる。町内には塚野目第1号墳を主墳とする塚野目古墳群をはじめ、森山・大木戸などに古墳の構築がみられ、県下でも有数の古墳地帯をなしている。

 古代のこの地方は陸奥国信夫郡に所属し、伊達郷と呼ばれた。8世紀頃には東北地方でも有数の規模を持った条里制による開田が徳江・塚野目などの平野部ですすめられ、大木戸窯跡群では須恵器が焼かれていた。奈良時代になると、施回花文や蓮華文軒丸瓦などを出土する徳江廃寺が創建され、高城の山居遺跡では製鉄が行われていた。11世紀頃伊達郡は信夫郡より分立し、古代末期には奥州藤原氏の支配下におかれた。

 文治5年(1189年)藤原泰衡が源頼朝の率いる鎌倉軍を迎え撃った阿津賀志山の戦いは、奥州合戦最大の激戦であり、この時に築かれた二重堀と呼ばれる防塁壁が残されている。奥州合戦の戦功により伊達郡を賜った中村朝宗は、常陸国より移住し伊達氏と称する。伊達政依は伊達五山の一寺として光明寺を建立し、始祖朝宗夫人の菩提を弔う。また徳治3年(1308年)には、元の帰化僧一山一寧の書による石母田供養石塔が建立されている。南北朝の動乱期、南朝軍の拠点であった藤田城は、貞和3年(1347年)足利尊氏方の攻撃を受け、霊山城とともに落城した。室町時代の中頃、伊達成宗は梁川城から小坂の小屋館へ隠居し、没後は松音寺に葬られた。伊達氏家臣の冨塚氏の森山館や石母田氏の石母田城など多くの城館が構築されたのは、鎌倉時代から室町時代にかけての時期である。

 天正19年(1591年)伊達政宗は豊臣秀吉の奥州仕置により米沢城から大崎岩出山城(宮城県大崎市)へ移り、この地方は蒲生氏領になり、次いで寛文4年(1664年)まで上杉氏の支配下に置かれた。この時期以降国見町の村々は、幕領・福島(本田)藩・桑折(松平)藩・足守(木下)藩・仙台(伊達)藩預領等、支配の変遷を繰り返しながら明治維新を迎えた。この間寛永10年(1633年)には西根上堰が開さくされて水田の開発が進み、藤田・貝田・小坂宿は奥州道中・羽州街道の宿駅として賑わい、徳江川岸からは江戸への御城米の積み出しが行われていた。幕末期に石見・生野と並び日本三大銀山の一つとされた半田銀山は、採鉱域を北に広げ、泉田の二階平や矢筈山にも開坑し、盛況を呈した。寛延2年(1749年)桑折代官の暴政に抗した農民達の信達大一揆が発生し、慶応2年(1866年)には信達両郡の百姓が物価の引き下げなどを要求して世直し一揆を起こし、町内でも打壊しが行われた。

 明治維新後の国見町は、中村藩民政取締桑折県・南部白石藩の支配となるが、廃藩置県によって福島県の管轄となる。明治6年(1873年)には泉田小学校が開校され、同9年(1876年)東大窪と西大窪の両村は村名を高城・大木戸村と改称した。同22年(1889年)市町村制が施行されて旧村の合併が行われ、泉田・小坂・鳥取・内谷村は小坂村、藤田・山崎・石母田村は藤田村、森山・徳江・塚野目村は森江野村、大木戸・高城・貝田・光明寺村は大木戸村、東大枝・西大枝・川内村は大枝村として発足した。明治20年(1887年)上野・塩釜間に鉄道が開通し同33年(1900年)には藤田駅が開業している。大正4年(1915年)藤田村は町制を施行して藤田町となった。昭和29年(1954年)町村合併促進法によって藤田・小坂・森江野・大木戸・大枝の町村は、合併して国見町となり、同年東大枝地区が梁川町に編入され、境界の一部を変更し現在に至っている。