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義経物語

第二幕義経と奥州・藤原氏
義経 よしつね との絆深 きずなふか く。奥州 おうしゅう 芽吹めぶ 源氏 げんじ 再興さいこう のエネルギー。
義経 よしつね 庇護ひご した奥州 おうしゅう 藤原氏ふじわらし は、頼朝 よりとも められ滅亡 めつぼう みち をたどる。

イラスト

義経 よしつね かた るうえでけて とお れないのが奥州 おうしゅう 藤原氏ふじわらし 存在そんざい です。では、壮大そうだい 地方都市 ちほうとし 建設けんせつ し、また、天才 てんさい 武将 ぶしょう 義経 よしつね そだ てた奥州 おうしゅう 藤原氏ふじわらし とは・・・。

日本 にほん 最初 さいしょ 地方文化ちほうぶんか 開花 かいか
金<ruby><rb>色</rb><rp>(</rp><rt>
いろ
</rt><rp>)</rp></ruby>堂奥州 おうしゅう 藤原氏ふじわらし 前九年 ぜんくねん 後三年 ごさんねん えき のち 藤原清衡ふじわらのきよひら 奥州 おうしゅう 支配しはい ゆだ ねられたのにはじ まります。清衡きよひら ゆた かに産出さんしゅつ する砂金さきん をもとに きょう 文化ぶんか 摂取せっしゅ つと め、基衡もとひら 秀衡ひでひら 三代さんだい 平泉ひらいずみ 荘厳華麗そうごんかれい 文化ぶんか はな ひら かせたのです。十万じゅうまん 人口じんこう よう し、ぜい くした寺院群じいんぐん なら ぶ、日本 にほん 屈指くっし 大都市だいとし 繁栄はんえい ほこ ったのです。

義経 よしつね 藤原秀衡ふじわらのひでひら 泰衡やすひら との関係 かんけい さぐ る。
鞍馬山くらまやま 義経 よしつね 平泉ひらいずみ かったのが1174 ねん とき に16 さい 。なぜ平泉ひらいずみ かったのかはなぞ とされています。
北方ほっぽう 王者 おうじゃ といわれた藤原秀衡ふじわらのひでひら は、義経 よしつね あたた かくむかえいれてくれました。源氏 げんじ 再興さいこう 目指 めざう 義経 よしつね は、武将 ぶしょう のたしなみとした弓馬 きゅうば みち を、奥羽 おうう 山野 さんや めぐ りながら、鍛錬 たんれん はげ むのを日課 にっか として、6 ねん 歳月 さいげつ 平泉ひらいずみ ごしたのです。

こうして義経 よしつね は、悲運の道をたどる。
平家 へいけ 討伐後 とうばつご 義経 よしつね 朝廷 ちょうてい からたか くらい さずか かりました。そのことが兄頼朝 あによりとも いか りをかい、われるになったのです。義経 よしつね 幾多いくた 苦難くなん 克服こくふく しながらふたた 秀衡ひでひら のもとにせました。わらぬ愛情 あいじょう むか えてくれた秀衡ひでひら 。しかし秀衡ひでひら は1187 ねん 病死びょうし してしまいます。するとその泰衡やすひら は、頼朝 よりとも くっ 義経 よしつね 襲撃しゅうげき し、ついに義経 よしつね は1189 ねん 衣川ころもがわ やかた 自刃じとう し31 さい みじか 生涯しょうがい まく じました。そして、泰衡やすひら にも頼朝 よりとも ぐん せます・・・。

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