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ホールの事業紹介

平成18年3月5日(日)

『義経と語る高橋克彦』
劇団わらび座「ミュージカル義経」ショートステージと高橋克彦トークショー

 3月5日(日)観月台文化センターホールにて、『義経を語る高橋克彦』が開催されました。
 まず、秋田県田沢湖に本拠を置く『劇団わらび座』が制作した「ミュージカル義経」のショートステージが行われ、その後、直木賞作家の高橋克彦氏とミュージカルで「義経」役を演じる戎本みろ氏のトークショーが行われました。

ショートステージの模様の写真
(ショートステージの模様)
 ショートステージの模様の写真
(ショートステージの模様)

 「ミュージカル義経」のショートステージでは、源氏の嫡流として意気揚々と平泉に乗り込んだ源義経が藤原泰衡と衝突する場面、平家を滅ぼしたものの、源頼朝の不興を買ってしまった義経、藤原泰衡と堅い友情で結ばれた義経などが次々と演じられました。
 カーテンコールでは、「義経」役の戎本みろさん、「小虎・静」役の碓井涼子さんなどの主要メンバーが「ミュージカル義経」のテーマソングなどを熱唱しました。
 ミュージカルの音楽は、当館自慢のピアノ「ベーゼンドルファー(インペリアル)」がつとめ、田島啓子さんの演奏は会場を感動で包みました。

トークショーの写真
(熱心に語られた高橋克彦先生(右)、
聞き手は義経役の戎本みろ氏(左))
 熱心に聞き入る参加者のみなさまの写真
(熱心に聞き入る参加者のみなさま)

 つづく、高橋克彦先生と戎本みろ氏とのトークショーでは、義経の北行伝説から阿津賀志山の戦いの意味について語られました。
 この中で高橋克彦先生は、藤原泰衡は暗愚な政治家ではなかったと指摘し、義経は平泉で死んでいないと推理されました。鎌倉方にとって、義経が平泉からいなくなった事を認めると奥州藤原氏を征討する大義名分を失ってしまいます。先生は、義経は平泉を脱出したことをアピールするために、東北各地に残っている義経伝説を遺したと語られました。さらにその伝説を分析すると、後世の人間の勝手な作り話では説明がつかない整合性があり、源義経が前もって平泉から脱出していたと推論される根拠であると語られました。
 さらに藤原軍が動員できる兵力と鎌倉軍の動員できる兵力を比較しても泰衡の勝機は十分にあったとも分析されています。しかし、たとえ征夷大将軍である源頼朝を打ち破っても、奥州藤原氏が朝廷から逆賊としての汚名を受ければ奥州の平和が破られ、長い戦いが続くことは、過去のエミシの歴史からも想像できることでした。このため、奥州の平和と平泉文化を守るために、あえて負けたのではないかと推理をされていました。
 歴史上、藤原泰衡は義経を殺した張本人という汚名を受け、勝てた戦にも敗れるという二重の屈辱を受けることになりましたが、奥州の平和と金色堂をはじめとする平泉文化を遺すこととなりました。そこに藤原泰衡のすごさがあるということです。
 また、阿津賀志山の戦いは、藤原泰衡にとっては必要の無い戦いだったかもしれないが、一方で、藤原国衡らのように鎌倉軍に無血開城はすることに耐えらない武将達にとって阿津賀志山の防塁は格好の死に場所であったと指摘されました。
 最後には、阿津賀志山防塁は、現存する平泉の金色堂とともに、現在でも平泉以外の地で奥州藤原氏の強大さを示した数少ない遺跡であり、誇りをもって国見町の歴史を若い世代に伝えてほしいとの高橋克彦先生からのメッセージをいただき、トークショーは終了しました。

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